ワーホリサポーター なおみ
初めまして、なおみです。
以前の私は
埼玉県のある街の飲食店で
ただひたすら働きまくる
生活をしていました。
ランチもやっていたお店なので
朝から終電までほとんど立ち仕事。
究極の面倒くさがりという
私の性格も手伝って
真っ先にベットへダイブ。
化粧落とすのめんどくさい。
服着替えるのめんどくさい。
マッサージ?何それ美味しいの?
日に日にむくんでいく
私の棒のような足。重くなる肩。
毎日毎日
頭に過ぎる言葉は
『仕事やめたい』
『仕事つまんない』
『明日起きたくない』
唯一のオアシスだった
友達とのランチや飲みの場では
年齢を重ねるごとに
気づけばみんな愚痴ばっか。
『愚痴ばっかの自分が嫌』
『愚痴を聞かされるのも嫌』
『てか生きるってなんなの』
『楽しいことなんか何もない』
逆に自慢話を聞けば
『はいはいあなたの人生安泰で
ハッピーですね?よかったね?』
『そんなに熱くなるものが
全員にあると思わないでよ』
と妬み僻みの大嵐。
一時期は
『いっそのこと事故にあって
記憶喪失とかならないかなあ』
『起きたら今までのこと全部夢で、
楽しい世界が待ってる…
それなら喜んで事故にあうよ』
と、訳のわからないことを
考えていました。
そんな毎日の中で
密かに誰にも言わずに
ずーっと思っていたことが
ありました。
『何か新しいことをやってみたい』
『こんな自分でもできることって
何かあるんじゃないだろうか』
ある日のこと、
駅で海外から旅行に
きたであろう男性に
声をかけられました。
どうやら私に
道を聞いているようです。
「ノー。
あいきゃんと すぴーく
イングリッシュ。」
無意識に私が
彼に放った言葉でした。
仕事で疲れているし。
てか英語で話しかけてきたよね?
いや英語なんかいつぶりだよ。
てか全くわからんし。
そう心の中で
ぶつくさ言いながら
彼に背を向けて歩き出しました。
ふと、本当になんとなくふと
後ろをふりかえってみると
私の体より重そうな
荷物を背負い
誰かに再び
話しかけようとしている
不安げな顔をした彼が
ポツンと立っていました。
この日の出来事を
私は
忘れることができませんでした。
『英語か…』
英語が嫌いで嫌いで嫌いで
避けに避けまくっていた私の中に
完璧に出来上がった苦手意識。
でも、私は考えました。
『私は英語が
できるようになりたいのか?
…そうじゃない、
彼のことを助けて
あげられなかったことを
後悔しているんだ』
その数日後のこと。
まるでこの前の出来事を
知ってたかのように
ある看板が私に
何かを訴えてきます。
【ワーホリ・留学】
【無料相談!!!】
『留学はまだわかる。
え、ワーホリってなに者?
美味しいの?』
これが私とワーホリとの
出会いでした。
それからというものの
毎日仕事で忙しいのは
変わらないくせに
あろうことか空いた時間や
寝る前の時間にワーホリについて
調べ始めたのです。
『ワーホリってなんなの?』
『どうやったら行けるの?』
『どのくらいの期間行けるの?』
『どの国でも行けるの?』
どこからか湧き出てくる質問たち。
実際に例の看板のある建物にも
立ち寄って説明を受けてみました。
なんか知らんけどおもしろそう。
英語は全くできないけど
これで多くの人と
触れ合ってみたいかも。
次第に強く思うようになり
できる限りの事は調べてまとめ、
私だけのワーホリ準備法を
生み出して実践してみました。
あんなに働いていた仕事も
「やめます!!!」
とあっさり手放し、
友達にもワーホリ行ってくる!
とドヤ顔して
日本を出発しました。
行き先は私的未開の地、オーストラリア。
まずは1年間滞在を目指しました。
オーストラリアに着き
語学学校生活が始まりました。
そしてここで私は
いくつか思うことが…
英語が全くできなかった私。
クラスは下から3番目。
だからと言っても…
『日本人多すぎませんか!?!?』
20人クラスで
日本人でない子は1〜4人。
『誰だよ
日本人少ないよ〜!
って言ったやつーーーー!!』
そう、4月に語学学校を
スタートしたため
大学を休学して留学生として
語学学校に通う日本人が
たーーーーくさん。
そして私の学校。
ルールがあまり厳しくないので
母国語を話すお友達…
つられる意志の弱い私…
『これはあっかーん!!!』
結果、
4ヶ月を予定していた
語学学校は2ヶ月で
終了することにしました。
だがしかし。
私は海外保険付きプラン
にしていたので
その語学学校に
120万円ほど払っていました。
幸か不幸か私の前に
中途卒業する子と学校が
返金の件でかなり
もめていたので
私のケースは
ほんの少しのお金が
戻って来ましたが
貯金をほぼ
そこにつぎ込んでいたので
学校辞めた後の生活費の
不安を考えると
もしも返金0だったら
巨大なメンタルダメージを
食らっていたと思います…
『そういえば
万が一辞める話は
誰も教えて
くれなかったあああ』
もう1つは先ほど触れた
海外保険です。
私のケースですが…
何かあっても大丈夫!
海外保険を把握している
スタッフが現地にて対応!
『そりゃあ安心だ!』
と語学学校の保険に入り
現地にて病院にかかりたく
現地スタッフに相談すると
「その担当はジョージだよ!」
「あ、それならマイケルに
話してみてね〜!」
「なるほど〜、
僕はわかんないから
ジェニーに聞いてみて!」
た ら い ま わ し
聞いた話と違うかよ!!!!
その後はというと
オーストラリアでのあるある仕事
ファーム(農家)で
働こうと決めました。
幸運にもファームはすぐ見つかり
『空ひろーーーーい!!』
『みんな優しい面白い!!』
『お給料もバッチリ!!』
とファーム生活を謳歌。
すっかり
ファーム生活(とある男性)に
ハマった私(笑)は
第2のファーム生活を
決意することとなりました。
が、しかーし。
事件は起きました。
新しく仕事が決まり
1人で指示された地域
(電車が1日2本のど田舎)
へ行くと、
「手違いで君の仕事と
住む家がなくなったから
他の地域にいってね〜」
!?!?!?!?
こちらが
怒り狂おうと懇願しようと
「ないものはない」の一点張り。
あろうことか連絡が
つかなくなってしまいました。
ホテルも近くにはなく
電車も乗ってきたものが最終。
でもまだ時間は
最高温度38度の午後15時。
途方に暮れすぎて
絶望に私の心臓は高鳴り
焦りから血の気が引き
その暑さも感じず。
あの時の心のざわめきは
今でも覚えています。
その後はというと
いくつかのルールを
私の中で決めることにより
上手くファームの仕事を
ゲットすることができました!
これがのちに語り継がれる
アフガニスタン人に
迫られながらの
激うま!チェリーファームライフ
となりました(笑)
また
自分の中でいくつか
ルールを決めたおかげで
怒涛の1ヶ月半!
なおみトリップ(5都市)により、
かなりたくさんの出会いや
思い出を作ることができました。
私のワーホリライフの
最後の方では
おしゃれな第二の都市
メルボルンでのシティライフ。
ここで仕事も家も
今までの経験のおかげで
スムーズに決まり
晴れてシティガールに。笑
そして
日本の好きなところ、嫌なところが
違う視点で見えてきた不思議な帰国。
あんなに面倒くさがりで
負のオーラ満載だった私が
準備法を生み出し
経験からルールを作り
たった1年のワーホリ経験で
かなりのポジティブ人間
に大きく変えられました。
さて
帰国後に後輩のあおいちゃんが
私に相談してきました。
「なおみさん、ワーホリって
どんなことするんですか?」
「英語ができなきゃダメですか?」
話を聞いてみると
美容師をしている彼女は
今の仕事を死ぬまで続ける前に
何か新しいことを
自分から1歩踏み出して
やってみたい気持ちがある
とのこと。
そこで私がワーホリに
行ったことを聞きつけて
話を聞きにきたんだそう。
私は自分自身が
こんなにも変われた
ワーホリに是非とも
行って欲しいと
あおいちゃんに
私が発つ前にできた
”ワーホリ準備法”に
私の成功や失敗の経験を
さらに加えた
”ワーホリ準備法 改”を
教えてあげました。
するとなんと
14日間で準備ができちゃいました!
ワーホリ行ってきます!
とのこと。
さらにはオーストラリアから
順調に家も仕事も見つかりました!
との報告がきました。
さらにはなんとなんと。
恋人ができてオーストラリアに
住もうと思ってると
言うじゃないですか。
彼女はこうとも
言ってくれました。
「右も左もわからなかった私に
なおみさんがワーホリ準備法を
教えてくれたのが
始まりでした。
なおみさんが教えてくれた
あの準備法のおかげで
時間のロスなく準備ができて
今の楽しい生活があります。』
そう、私は
ビザの申請方法さえ知らない
面倒くさがり代表の私が
14日間のワーホリ準備だけで
現地ですぐに
住む家と仕事が見つかり
一生の仲間と思い出を
手に入れる方法 を生み出して
しまったのです。
このワーホリ準備法は
誰でもできるものです。
だって究極の面倒くさがりだった
私さえ実践できたんですから。
今の生活がつまらない
何か新しいことをしたい
自分にも何かできるのではないか
ワーホリに行ってみたい
そんなあなたの番です。
私は全力であなたを
サポートしたいと思います。
是非ともこの”ワーホリ準備法”を
駆使して欲しいです。
そして
あなたのまだ見ぬ世界へ飛び出て
たくさんの人、物に触れて
新たな自分に出会って欲しいし
たくさんの一生の友達と
一生の思い出を作って欲しいと
思っています!
長くなってしまいましたが
最後まで読んでくれて
ありがとうございました!
なおみ